かみふじの花

20代のオタク女。 漫画とアニメとゲームが好き。 Twitter依存。 まったり更新するブログ。

犯人はヤス

「犯人はヤス」というフレーズ、なんでこんなに定着したんだろう。

 

風呂場でずっと考えていた。

元ネタのポートピア連続殺人事件のことはわりとどうでもよくて、
「犯人はヤス」というこの言葉の、この耳ざわりの良さはなんだろう、と考えていた。

 

まず、このフレーズは物騒である。

「犯人は」という冒頭部分がまず物騒、その後に人名が続き、このヤスなる人物が極悪人なるぞと告げている。

 

どんな過ちを犯したかは分からんが、とにかくヤスが犯人であるぞと。
罪人であるぞと、ひっとらえろ、と。

 

じゃあ、ヤスって誰だよ、と。

一目見て分かる、これは本名じゃない。
いや、本名かもしれないけど、フルネームじゃないし、これでは個人を特定できない。

 

ニックネーム…そう、愛称。
「ヤス」という呼び名、愛称にちがいない。

しかも、親しげなようすを伺わせる。

 

初対面の安太郎さんに「ヤス」と呼びかける大人がいるだろうか。

大人なら、せいぜいが「ヤっさん」への分岐じゃないだろうか、知らんけど。

 

子供ならどうか。

小学生くらいの子供ならば、入学式で初めて出会った安太郎が、5時間後には教室中にヤス呼ばわりされていても不思議ではない。

 

子供ならば、無垢な感性と未だ社交辞令を必要としない世界における気安さ。

大人ならば、長年の付き合いがある友人同士、あるいは非常に気が合い酒を飲み交わす親密な間柄。

 

「ヤス」にはそんな親しみを感じる。

 

さらに言えば、このヤス、漢字にしてみたら、どうだろう。

十中八九「安」なのではないか。

 

カタカナの「ヤス」が本名である可能性も捨てきれないが、一般的には「安」のつく漢字の名前であることが多いのではないか。

「康」とか「靖」も多い気がしてきたけどそんな画数の多い漢字は知らん。

 

この「安」そして「やす」、という響き、非常に安心感がある。

なにせ、安心感の「安」である。
高い安い、の安いのほうの、「安」である。

気やすさ、親しみやすさ、信頼感。

 

緊張なんてしなくていいよ、身を委ねていいんだよ、さあ微笑んで目をとじて…。

 

そんなメッセージを「安」からは感じる。

 

からの、犯人呼ばわりである。

 

なんだそれは。ジェットコースター事故かよ。

「犯人は」で緊張感と後ろめたさと切なさと部屋とYシャツと私を煽ったかと思いきや、「ヤス」というオチ、その響き、ふんわりクッションのようなトドメの、このギャップ。

 

仮に「犯人はデブ」とか、あからさまな悪口だったら、こうも流行らなかった。

徹頭徹尾マイナスだもの。

ネガティブにはじまりネガティブに終わるその言葉の、何がおもしろいというのか。

 

はたまた「善人はヤス」でもダメだ。

だってヤスだもの。「安」だよ?
しかもなんか愛称らしきもので呼ばれてる。
良い人そうで、しかも愛されているときた。

心に響かない。ヤス、募金でもしてろ。

 

ならば、「犯人はキヨシ」でもちょっと違う、テンポが悪い。

「犯人はヤス」というフレーズ、なかなかテンポが小気味よいのだ。
声に出して読みたい日本語。

はんにんは・やす、と、声に出してみてほしい。

「はんにんは」で息を吸い、上半身がやや反り返る。
そこで貯めこんだパワーを、「ヤス」で前方にスゥと吐き出す。

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手で表すと、こう。

二拍子の指揮のような軽快さがある。

 

さらに言えば、「犯人はキヨシ」の場合、キヨシが清すぎて、若干のきな臭さが漂わなくもない。

「ヤス」という響きからは、清さも正しさも出ていないことに、お気づきだろうか。

安かろう悪かろう、という言葉があるように、安いことと、清く正しく美しいことは、また違うのである。

 

しかしお値段が低いということ。貧乏人からセレブまで、幅広い人物が手に取るということ。

粗悪品かもしれない。賞味期限ギリギリかもしれない。
それでも、安さは、近いところにいる。親しい距離にいる。

 

ヤスは…清くも、正しくも、美しくもないかもしれない。

でも、気安くて安心できる奴なんだ。
親切で…安らかで。

だから絶対に、犯人なんかじゃないんだ…!

 

とかなんとか涙ながらに訴えてるところに「犯人はヤス」って叩きつけられる、この衝撃、この落差、このストーリー!

 

そりゃ流行るわけだよなあって、考えてました。

 

ポートピア連続殺人事件

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